経済学分野の教育「参照基準」の是正を求める全国教員署名[呼びかけ文]


*以下は、2013年10月28日から行われた「経済学分野の教育「参照基準」の是正を求める全国教員署名」の呼びかけ文を、署名ページ(https://pro.form-mailer.jp/fms/8fe8371a49520)から転載したものである。
2013年11月30日の第1次集約および12月31日の第2次集約をあわせて、1139筆の署名が集まり、署名は日本学術会議に送付された。


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日本学術会議経済学委員会 御中

 私たちは、貴委員会が分科会を設けて作成作業にあたっている「大学教育の分野別質保証」のための「専門分野(経済学)の参照基準」について、私たちの知りえた現在の素案の内容から判断して、それが経済学の教育と研究における自主性・多様性、および創造性を制約するものになりかねないという重大な懸念を抱いています。

 私たちも、高等教育の普及のもとでの「質の保証」を国際的な視野にもとづいておこなうために専門分野ごとに「参照基準」をつくることの意義を否定しません。しかし、そのような「参照基準」は、教育内容・カリキュラムの標準化をはかるものではなく、それぞれの専門分野の教育にあたる大学・学部・学科とその教員たちの自主性と多様性を前提としたものでなければなりません。「教育の質」「国際的通用性」といううたい文句のもとに一定のモデルを押し付けるものになれば、「参照基準」は高等教育の画一化を促進するだけのものになるでしょう。私たちは、文部科学省の依頼にこたえて学術会議が専門分野ごとの「参照基準」作成の課題を引き受けたのは、「日本の科学者コミュニティを代表する機関」として、それぞれの専門分野で研究と教育をおこなっている科学者の自主性と多様性を前提とした「参照基準」を作成することによって、教育面においても質の保証と自主性・創造性の確保を両立させるためであったと考えます。

 実際に、学術会議が2010年7月22日付けで文部科学省におこなった「回答:大学教育の分野別質保証の在り方について」においても、「大学教育の多様性を損なわず、教育課程編成に係る各大学の自主性・自律が尊重される枠組みを維持すること」への留意が求められ、「作成の手引き」においても、「参照基準では、あくまで一定の抽象性と包括性を備えた考え方を提示するに留め、それを参照した各大学がそれぞれの理念と現実に即して自主的・自律的に具体化する」「カリキュラムの外形的な標準化を求めるコアカリキュラムではない」ことが確認されています。

 しかし、現在上記分科会で審議されている経済学分野の「素案」は、そのような慎重さを欠いています。経済学は合理的選択の科学であり、歴史・制度・思想などは副次的な要因にすぎないという新古典派的な経済学観が自明なものとして想定され、「ミクロ経済学」と「マクロ経済学」が基本であり、それに「統計学」を加えたものを基礎科目とし、他のいくつかの科目をその応用分野とする「経済学の体系」が示され、このような「経済学の体系」に合わない科目は排除ないし周辺化されています。具体的に言えば、現代の経済にその資本主義的な特質からアプローチする「政治経済学」(マルクス経済学だけとは限りません)は全面的に排除され、歴史的要因・制度的要因・思想的要因にかかわる科目はすべて周辺に追いやられています。

 経済学は社会科学であり、合理的な選択というのも、歴史的、制度的、政治的、そして思想をも含む文化的要因によって形成された状況のもとでの選択ではないでしょうか。経済領域の歴史、制度、政策、思想、そして社会とともに発展した経済学自体の歴史についての教育が周辺的分野にすぎないというのは、経済学についての特定の見方に基づく区分にすぎません。20世紀以降の経済学(Economics)において、ミクロ経済学とマクロ経済学が発展したことはその通りですが、その母体となった18世紀後半以来の政治経済学(Political Economy)は近代の経済の歴史的・制度的特質の認識の上に立つものであり、その現代的な継承と展開は多くの経済学者によって研究され教育されています。また、理論を基礎として応用に進むだけが研究と教育の道ではなく、現実の社会的・経済的問題に取り組むなかから理論を発展させていく道もあるはずです。このように考えると、現在「分科会」が準備している「素案」は、特定の「経済学」観に基づいたコアカリキュラムを想定する偏ったものにすぎません。それは日本の科学者のコミュニティを代表するはずの学術会議が作成する「参照基準」としてふさわしくありません。

 今後、大学進学年齢期の人口の急激な減少が見込まれるなかで、大学教育組織の日本全体としての規模は縮小に向かうことが予想されています。そのなかで、上記のような偏った内容の「参考基準」が採択されるならば、それが経済学関係の学部・学科の破壊的リストラクチャリングの指針として用いられかねません。それは経済学教育の画一化を急速に進行させ、経済学が社会科学としてもつべき独立性・創造性の喪失につながるでしょう。この署名をもって、私たちは経済学研究者および教育者として、「参照基準」の上記のような偏った内容の是正を、強く求めます。

2013年10月28日


署名呼びかけ人
伊藤正直(大妻女子大学教授、日本学術会議連携会員)
岡田知弘(京都大学教授、日本学術会議連携会員)
八木紀一郎(摂南大学教授、日本学術会議連携会員)
有賀裕二(中央大学教授、進化経済学会会員)
伊田久美子(大阪府立大学教授、日本フェミニスト経済学会会員)
伊藤誠(東京大学名誉教授、日本学士院会員)
小野塚知二(東京大学教授、政治経済学・経済史学会会員)
片岡 尹(相愛大学特任教授、信用理論研究学会会員)
田中洋子(筑波大学教授、社会政策学会会員)
中谷武雄(元京都橘大学教授、基礎経済科学研究所所員)
長谷川健二(福井県立大学教授、漁業経済学会会員)
水野勝之(明治大学教授、経済教育学会会員)
宮川彰(首都大学東京名誉教授、マルクス・エンゲルス研究者の会会員)
宮本憲一(大阪市立大学・滋賀大学名誉教授、日本財政学会会員)
本山美彦(京都大学名誉教授、日本国際経済学会会員)
森岡孝二(関西大学教授、経済理論学会会員)


  参考資料
1.2013年10月5日 経済理論学会要望書 http://jspe.gr.jp/drupal/node/107
2.2013年11月5日 進化経済学会意見書 http://www.jafee.org/sanshokijun.html
3.2013年11月25日 経済教育学会意見書 http://ecoedu.jp/2013/11/post-9.html
4.2013年11月28日 基礎経済科学研究所意見表明 http://kisoken.org/wordpress00/?p=1082
5.2013年11月27日 社会経済史学会意見書 http://sehs.ssoj.info/jp/pdf/opinion20131127.pdf
6.2013年12月1日 経済学史学会要望書 http://jshet.net/modules/news/details.php?bid=30
7.2013年12月21日 日本フェミニスト経済学会意見書 http://www.igs.ocha.ac.jp/jaffe/Jaffe.pdf
8.2013年12月27日 日本地域経済学会意見書 http://jares.jp/pdf/20140123news.pdf
9.2014年1月17日 漁業経済学会意見表明 http://www.gyokei.sakura.ne.jp/daihyourijiseimei.pdf
10.2014年1月28日 社会思想史学会要望書 http://shst.jp/request.html
11.2014年3月8日 林業経済学会意見書 http://www.jfes.org/info/rizikai140308.pdf
12.日本学術会議経済学委員会 経済学分野の参照基準検討分科会 議事次第 http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/bunya/keizai/giji-sanshoukijun.html
13.2013年12月4日 日本学術会議公開シンポジウム「大学で学ぶ経済学とは~学士課程教育における参照基準を考える~」の案内チラシ http://www.scj.go.jp/ja/event/pdf2/182-s-1-1.pdf
14.2014年3月17日 第二次修正案についての経済理論学会意見書 http://jspe.gr.jp/drupal/node/113
15.2014年3月30日 第二次修正案についての信用理論研究学会意見書 http://www2.bus.osaka-cu.ac.jp/~kiyota/JSCT/index.php?plugin=attach&pcmd=open&file=140328seimei.pdf&refer=FrontPage


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*2014年3月12日、「「経済学分野の参照基準」を考えるシンポジウム」が開催された。 http://www.jspe.gr.jp/node/110
 (「経済学分野の参照基準」を考えるシンポジウム 予稿集 http://jspe.gr.jp/drupal/files/symposium_econ.pdf